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 ―― 認めたくなかった。

      もう、この世のどこにも

          あなたがいないという事実を ・・・


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『 オルゴール。


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「……いらっしゃい」
 しわがれた優しい声に顔を上げると、ガラス張りのカウンター越しから
一人のおじいさんが僕に笑いかけていた。
「えっ……と……」
「何の用かな?」
 何のようかなと聞かれても、僕には答えるすべがなかった。僕にはここがいったい何処で、何のお店かさえ頭の中になかったからだ。
「……あの……」
 きょろきょろと店内を見回すと、そこは色々な場所に様々なオルゴールたちがいるお店だった。両手で持てないほど大きな物から、手のひらにすっぽりと納まってしまいそうなほど小さな物まで。中でも一番目を引いたのは、蓋に豪華な装飾の施されたいかにも値の張りそうなオルゴールだった。
「……ここは、オルゴール屋さんなんですね」
「オルゴール屋はオルゴール屋でも、修理専門じゃがな」
 僕の言葉に。おじいさんは鼻の上の黒ぶち眼鏡をちょいと上げて答えた。
「修理専門?」
「そうじゃよ。お前さんも修理依頼に来たんじゃろ?」
「え? ぼっ……僕は……別に……」
 さも当たり前の様に言うおじいさんの言葉に僕は困ってしまった。ついさっきまでここが何処かさえ知らなかった僕が、修理依頼のためにここへ来たなんてあるわけがない。
「……違うのかい? なら、その手に持っとるオルゴールはわしの見間違いかのぉ」
 言われて自分の手元を見ると、確かに僕は白っぽい木で作られた一つのオルゴールをしっかりと持っていた。
「……いつの間に……」
「ここへ来た時から持っとったじゃないか」
 ぽかんとして手元を見つめる僕に、おじいさんは呆れた声でそう言って溜め息を一つついた。
「それで、いったいどんな壊れ方をしとるのかね? そのオルゴールは」
「どんな……壊れ方?」
「音が出ないとか、螺子が巻けないとか……」
「……分かりません……」
 僕は素直に答えた。
 〝ふざけるな!〟……と怒られるかと思ったら、おじいさんは難しい顔をして考え込んでしまった。
「……あの……」
「お前さん、本当に何も分からずにここへ来たんじゃな……」
 急に顔を上げると、おじいさんは僕が今まで見たこともないくらい真剣で寂しい笑顔を浮かべた。

  ……違う、知ってる……。

「……え?」
「オルゴールを見せてくれんか?」
 頭の中にぼんやりと何かが浮かびかけた時、おじいさんが優しくそう言ってきた。
「あ……はい」
 カウンター越しに伸ばしたおじいさんの手にオルゴールを渡すと、おじいさんはオルゴールをひっくり返したり目の高さまで持っていったりして、しきりに何か感心したように頷いていた。
「ふむ。なるほどのう……。これは誰かの手作りじゃな。良く出来とる」
「手……作り……」

  ……これ、作ったのよ……あなたの……

「……僕……」
「じゃが、どうやら音がならんようじゃのう」
「え……」
 また何かを……何かを思い出しかけた。いったいなんなんだろうか……?
「……音がならない……」
「まるで今のお前さんみたいじゃの」
「え?」
 おじいさんは目を細めて笑いながら僕を見た。
「歌を忘れたカナリアじゃよ。お前さんは、何でここへ自分が来たのか分かっとらん」
「……」
「ここはのう、オルゴールの修理専門の店であると同時に、人の心の病も治すところなんじゃよ」
「心の……病……」
「このお店に飾られとるオルゴールたちはのう……」
 そう言って店内に視線を飛ばしたおじいさんにつられて、僕もその後を追った。
「たった一人のために作られた、世界でたった一つしかないオルゴールなんじゃよ」
「たった一人のための……たった一つしかないオルゴール……」

  ……あなたのために。

「僕のために……」
「そうじゃ。このオルゴールは、お前さんのためにお前さんのことを思ってくれておる誰かさんが作ったものじゃ」
 おじいさんは自分の子供をなでるように、そっと手の中のオルゴールをなでた。
「僕のことを……思っていてくれる誰か……」

  ……あなたが……私を……

「……その人は……」

 ズキンと胸が痛んだ。これは……悲しみ?

  ……オボエテイテクレルヨウニ……。

「……思い出したみたいじゃな」

 すっと頬を涙が流れ落ちた。

「……忘れないよ……忘れるわけないじゃないか……」


 いつも僕の傍にいてくれた人。

 自分よりも僕のことをばかり心配してくれた人。

 いつも優しい笑みを僕にくれた人。

 誰よりも本気で僕のことを叱ってくれた人。

    そして……


 ……誰よりも……

    ……なによりも失いたくなかった人 ――

「お前さんは、その人のことを認めたくなかったのかい?」
 おじいさんのいたわるような問いかけに、僕は涙を拭うことなく黙って首を横に振った。
「じゃあ、なぜこのオルゴールは鳴ろうとしないんじゃ?」
 今度は叱るように問いかけてくる。
「……僕が…僕は…認めたくなかったんだ…。僕の一番傍にいてくれた人が…誰よりも幸せにならなきゃいけなかった人が…もう、この世のどこにもいないってことを…」


  ―― 真っ白な建物。

      真っ白な部屋。

        真っ白な洋服。

          真っ白な肌。

            真っ白な……

    そして……

 ―― 真っ赤な姉さん ――


 お医者様は、「もう二度と治らないだろう」と冷たく突き放した。

 お父さんとお母さんは「可愛そうに」を連呼して一日中泣いていた。

 近所のおばさんたちは「気の毒に」ばかり僕に言って通り過ぎていった。

 友達が見舞いに来る度に「早く元気になってね」と上辺ばかりの言葉を残していった。

 僕は……僕はずっと傍にいて、ずっと姉さんを黙って見ていた。何か喋れば僕は嘘をついてしまう。目をそらしたら、姉さんが消えてしまうような気がして、少しでも席をはずしたら、その存在さえなかったようになってしまいそうで……恐かった。

「お前さんの大切な人は、お前さんがそうなってしまうことを望んではおらんかったはずじゃ」
 黙ったままの僕に、おじいさは優しく……だけど強い口調で言った。
「お前さんは、認めねばならん。お前さんの大切な人は……もう、この世におらんという事実をのぅ……」
「……分かってます。もう、姉さんはこの世にいないこと…分かってます…分かって……」

 ……分かってるから、余計に認めたくなくて……。

 涙になって零れ落ちた言葉を、おじいさんはしっかりと受け止めるように僕の頭をゆっくりと撫でた。
「お前さんなら大丈夫じゃ。ゆっくりでいい。ゆっくりでいいから、受け止めてお行き」
 静かなおじいさんの言葉に、僕は涙を拭いながら何度も頷いた。


―― 修理は終わりじゃ。お前さんのオルゴールは、ちゃんとなおったようじゃよ。


―― え?


 夢現。

ぼんやりとぼやけたお店とおじさんの声に、僕の意識は遠のいた。


* * * * *


 開いた視線の先に、天井でくるくると回るぼんぼりの明かりが見えた。
「……?」
 起き上がって辺りを見ると、そこは畳十二枚分ぐらいの表座敷だった。畳の跡が付いた頬を撫でながら、僕はまだぼやけた目を擦ってぼんぼりの回る先へと視線を向けた。
「……姉さん」
 ぼんぼりの明かりに照らされて、黒い額縁の中の姉さんが笑っていた。

 今日は姉さんのお葬式の日。

 姉さんとの別れは突然のことだった。でも、僕も姉さんもその日が最後だとなんとなく分かっていた。
『これ、あなたにあげるわ』
そう言って差し出された一つのオルゴールを、僕は不思議に思いながら受け取ったのを覚えている。
『あなたのために作ったのよ。あなたが私のことを憶えていてくれるようにね』
 そう言って笑った姉さんの言葉が、最後の言葉になった。
 それからずっと、オルゴールの蓋を開いたことはない。
「……そうだ。オルゴール……!」
 僕ははっきりとした意識の中で、思い出したその存在を求めて立ち上がった。
 表座敷の脇にある二階への階段を一気に駆け上がり、僕は少し荒っぽく自分の部屋のドアを開けた。窓辺に置かれた白い小さなオルゴールに歩み寄ると、そっとそれを持ち上げる。所々ぼこぼことした手触りのあるそのオルゴールは、どん音色を奏でるのか……そんなことさへ憶えていない。
「……姉さん……」
 また涙が溢れて止まらなくなった。
 蓋に手をかけてそっと開けると、ゆっくりとした優しい流れが耳をくすぐって部屋の中に満ちた。

 “浪漫飛行”

 姉さんの一番好きなオルゴール曲。
「そうだったね。……この曲だったよね」
 涙の中で、僕はオルゴールに向かって微笑んだ。
「ごめんね。ずっと鳴らしてあげなくて。僕のために姉さんが作ってくれた、僕だけの君なのにね」
 なんとなく。なんとなくだけど、オルゴールがいっそう綺麗な音色を鳴らしたように聞こえた。それはまるで嬉しそうに笑っているかのように、僕には思えてならなかった。


* * * * *


―― あれから夢の中で、僕がおじいさんのお店に行ったことは一度もない。




 終 [ 2003/10/14 茶々紅 ]

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