『 俺、ときどき魔女 』

00:プロローグ

 月の光が雲に遮られ、点々と立つ街灯だけが暗い住宅街の通りをぽつぽつと照らしている。その細く入り組んだ道を、小さな黒い影足早に家路を急いでいた。
「…うぅ、やっぱり暗くなると怖いなぁ…。いつも通っている道とはいえ、先が真っ暗で見えずらいよ……」
 抱えた手提げ袋をギュッと抱き込み、少女は不安そうに眉をしかめた。手に持つ小さなライトが唯一自分の行く先を照らす光源となり、必死でその先を見つめている。何かがどこからでも飛び出してきそうな恐怖に体が震えそうになるのを押し込めながら、それでも早く家に着きたいという思いだけで足を動かしていた。
「もう、何で今日に限ってあんなに先生の機嫌が悪いのよっ!」
 少女は学校で剣道部に入っていた。最近は大会が近いせいかよく遅くまで練習をしているのだが、今日は特に部活の担任教員の機嫌が悪かった。その上に後輩の一人が悪ふざけで道具を投げたことが拍車をかけた。連帯責任で全員がこっ酷く叱られ、こんなに暗くなるまで残らされてしまったのだ。
「っとに、あの後輩!後でぜぇぇぇったい奢らせててやるんだからね!」
 思い出したら腹が立って来たのか、少女の怯えたような足取りはいつしか怒りをぶつけるような力強いものに変わっていた。
「ああ、何か余計にお腹が空いてきたなあ。今日はお母さん早く帰れるから、ご飯は期待して大丈夫よね。うん」
 両親が共働きのため、母親がいないときは自分で作ることの多い少女は今日のような日をとても楽しみにしている。もちろん、自分で作るのも楽しいけど、やっぱりお母さんのご飯が一番好きだった。ハンバーグとかいいなと考えながら、一人頷いて思わずにやけた少女の足がピタリと止まった。
「……?」
 さっきまで何も見えなかった先が、ほんのりと緑がかり薄っすらと見えているような気がしたのだ。思わす空を仰いで、どんよりと立ち込める雨雲を確認する。月の光と言うわけではなさそうだった。それに、月の光ならば白っぽいはずだ。さっきまでの楽しい気持ちはどこかへ消えてしまった。心臓がバクバクと早鐘を打ち、握り締めたライトを暫く足下に向けたままじっと立ちつくしていた。耳を澄まし、辺りへゆっくりと視線を彷徨わせる。
ふいにパチッと、静電気が走ったような音が耳に聞えた。驚く間もなく、パチパチッと青白い閃光が目の前を走る。さっきよりも大きな音とピリピリとした感触が空気を伝わり、少女の髪を逆立てた。
「なっ…何、これ」
「――こんばんは」
「ひっ!」
 目の前ばかり気にしていた少女は、急に背後からかかった声に飛び上がるほど驚いた。慌てて振り返った先に立っていたのは、一人の少年だった。今時珍しくきっちりと着込んだ学生服から、少女と同じ高校生のように見える。薄明るいこの場所でも、距離が少しあるせいか、その表情は笑みを浮かべた口元以外ここからは伺い知れない。
「だ、誰?」
 震える声で尋ねた少女の言葉に答えることなく、少年はゆっくりと歩み寄って来た。 一瞬緊張で体を強張らせた少女も、近づいてきた少年が人の良い笑みを浮かべた優しそうな人物であると見て少し力を抜いた。
「ごめん、ごめん。驚かせちゃったかな?」
「あ、いえ。その…ちょっとびっくりしましたけど、大丈夫です」
 傍に来てみれば自分よりも頭一つ分ぐらい背が高く、落ち着いた雰囲気は同じ高校生とは思えなかった。そのせいだろうか微かな違和感を彼女は少年に感じていた。それが何かとは言えないけれど。
「学校の帰りかい?」
「え、はい。部活が遅くなっちゃって」
「そっか…大変だね」
「はい。でも、大会が近いのでしかたないです」
 柔らかな声と態度、それに良く見ればそこそこ整った顔立ちをしている少年に心配されれば、あまり悪い気はしない。すっかり緊張を解いて、少女は肩をすくめて笑った。
「そうだね。しかたないよね…こんなに暗い夜に、一人で歩いていたのだからね」
「…え?」
 不意に落ちた少年の声のトーンに、少女は呆けたような声を出す。怪訝な表情で見つめていたその時、ぐにゃりとまるで水面が揺れるように少年の顔が歪んだ。
「ひっ!」
 思わず一歩引いた彼女を逃がすまいと、その両肩をがしりと少年だったものの両腕が掴んだ。
「うっ、嘘、やだ!放せ、放してっ!」
 恐怖でパニックに落ちいった少女がいくらもがこうとも、その両腕はびくりともしない。逆に段々と締め付けが強くなってきているように思えた。その間にもぐにゃぐにゃと形を変えて、それはゆっくりと少女の上に覆いかぶさって来ていた。
「いやあああっ!どうしてぇっ!」
『――シリタイ?』
「っ!」
ぐにゃぐにゃに崩れた顔がぐんと少女に近づき、ねっとりとくぐもった声が唯一残った口から漏れた。
『君ガ僕ニ捕マエラレチャウ理由。ソレハネ、君ガ“まじょ”ダカラダヨ』
「ま、まじょ?」
『ソウ。僕ハ“まじょ”ヲ食ベナイト生キラレナインダヨ』
「そ、そんなの知らないっ、知らな……」
 泣きながら首を左右に振る少女の言葉も終わらぬ内に、もはや人と言うより生きた液体状の物質と化した少年はゴボリとその小さな体を呑み込んだ。そのままボタリと地面に倒れ落ちた水の塊は、そのままゴボゴボと何度も形を変える。内に取り込んだ少女を食い尽くすようにゆらゆらと揺らめいた後、するりと地面に吸い込まれるように消えていった。
 後に残されたのは、虚ろな目で空を見つめて地面に横たわる少女の体が一つ。そして、それを穏やかな笑みを浮かべて見下ろす少年が一人佇んでいた。
「ごめんね?何も分からないまま、酷いことしてしまって。でも、これも僕のお勤めだからね。仕方ないんだ」
 しゃがみ込むと、少年は開いたままの少女の瞳をそっと伏せた。
「お休み。…さて。これで、十個目だね。まだまだ、先は長そうだなぁ」
 立ち上がり、しばらく明けかけた薄明るい空を見つめて考え込む。そうしてやおら、にんまりと楽しそうな笑みを少年が浮かべた。
「そうだね。そろそろ、美味しい餌にでも手を出そうかな?」
 鼻歌でも歌いだしそうなうきうきとした足取りで、少年はまだ闇の残る住宅街の路地へと消えていった。 


 

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