『 勿忘草 』

:第1話

「――進路希望票…かぁ…」
 手に持った紙を眺めて、重いため息を一つ落す。季節は冬から春に変わる三月の頃。寒さも和らぎ、暖かな夕日の照らす校舎の廊下を花咲 薫(はなさき かおる)は一人、眉間にしわを寄せて唸りながら昇降口へと向かっていた。来年に大学受験と就職活動を控え憂鬱になる者、やってくる最後の自由な春休みを思い切り満喫しようとする者など様々な思いが飛び交う中、彼女もまた前者の憂鬱者同様、将来のことに頭を悩ませていた。それというのも、帰り際に配られたこの紙が原因だった。
「友だちは皆適当に書いて出すとか言ってたけど…その適当が難しいんだよね……」
 一つ年上の幼馴染は、第一希望に『とりあえず有名になりたい』と本気で書いて小一時間ほどお説教をくらったと不貞腐れながら話していたなと思い出し、一人くすりと笑った。それでも担任は有名人になりたいと思う気持ちは理解して、無理だ無理だと何度も呟きながら受け取ってくれたとも言っていた。結局、今提出する進路希望なんてそんなものなのだろう。
「……そうだよね。ここに書いたからって、それを目指す必要なんてないんだよね。うんうん」
 無理矢理に一人納得して、紙を受け取った時から背負っていた重い空気を振り払った。それに、もうすぐ少し長い春の休みが待っているのだ。そう思うと、不思議と階段を下りる足取りも軽く感じられた。
「それにそれに、もうすぐ誕生日だもんね!ふっふっふっ、何買って貰おうかなぁ~?」
 欲しいものはめいっぱいある。昨年の誕生日は、その1週間前に交通事故にあって当日まで絶対安静を余儀なくされた。プレゼントをせがむ間もなく、小さなホールのイチゴケーキで終わってしまった苦い思い出がある。
「前の誕生日は本当に最悪だったもんなぁ…。軽く記憶喪失になるし、プレゼント貰えないし、やたら大事になっちゃって誕生日どころじゃなかったから仕方ないっちゃ仕方ない。けど、その分今年は絶対奮発して貰おっと」
欲しい物を頭の中で一つ一つを思い浮かべながら、薫は端から見れば不気味としか言いようのないにんまり顔で下駄箱の前に立った。鼻歌交じりで靴を取り出そうとして、ピタリとその手が止まる。
「……う?」
 指先に触った靴とは違う感触。そのまま摘んで取り出すと、四つ折にされた手の平に収まるくらいの紙が出てきた。それを目の高さにかざしてまじまじと見つめる。ラブレターのような思いを伝える手紙にしては、小さい上にお粗末過ぎる。それに、手触りや見た目からしてどうやらそれは、スケッチブックを一枚破り取ったもののようだった。
「な、何これ……」
不審に思いながらも気になって、おそるおそる開いた。すると、出てきたのは鉛筆で描かれた何処かの教室のスケッチだった。窓際の席に生徒が座って外を眺めている姿を、隣の席から見ているような。優しいタッチで丁寧描かれたその絵は、不思議と薫に懐かしさを感じさせた。
「教室?一体どこの…?それに、何でこんなものが私の下駄箱に?」
 首を傾げながら眺めていた視界に、走り書きで乱暴に書かれた『2-3』という文字が止まった。どうやらこの景色は、学校の『2-3』の一角を描いたものらしかった。
「……これって…2-3に来いってこと?」
 新しい呼び出し方か何かなのだろうか。暫くその文字を黙って見つめていた薫は、やおら一つ頷くと決心したように2-3へと足を向けた。
「来いって言うなら、行ってやろうじゃないの!」
 ズンズンと来た道のりを戻り、自分のクラスの2-2を通り越して2-3の前で足を止めた。ドアの前で一つ深呼吸をする。ぐっと軽く両手を握って気合を入れてから、勢いよくドアを開いた。が、教室の中はしんと静まりかえり、手紙の主はおろか生徒すらいなかった。
「あ、あれ?」
 誰かが待っているとばかり思っていた薫は完全に肩透かしをくらい、一気に体の力が抜ける思いがした。「お邪魔します」と小さく断って、辺りを見回しながらそろそろと中へ入って行く。同じ作りとはいえ、クラスが違えばその教室の持つ雰囲気も変わってくる。薫はどことなく居心地の悪さを感じながら、スケッチで描かれていた窓辺の列まで歩み寄ってみた。その先頭の席から視線を左に流して最後尾まで来た時、薫の視線がぴたりと止まった。白く牛乳瓶ほどの大きさの花瓶に、白と黄色と赤の交じった小ぶりで控えめな花が置かれた席。まるで、その席の主が亡くなったような異質な空気を放つその席を、持っていたスケッチと何度も見比べた。これは一体どういうことだろうか。ここ最近で同学年に亡くなった人がいたかどうか記憶を手繰ってみるが、薫の中に思い当たる事は見つからなかった。
「…なんなの、これ。悪い冗談?」
「――あれ?花咲さん?」
「うわっ!?」
 不意に背後からかかった声に、思案に浸っていた薫は飛び上がらんばかりに驚いた。勢いよく振り返った先で、幼馴染と同じ部活の佐崎 司(さざき つかさ)が同じように驚いた表情で立っていた。
「だっ、なんだ佐崎くんか……びっくりした」
「それはこっちの台詞。いきなり大声上げるからびっくりしたよ」
 ほっと胸を撫で下ろして近くの机に寄りかかる。そんな薫に、司は不思議そうな顔で歩み寄った。学ランをぴっちりと着こなす彼は学年でも有名(特に女子の間で)な優等生で、いつもにこにこと笑顔を絶やさない穏やかな人物だった。ただ彼をよく知る人たちに言わせれば『裏で何を考えているか分からない,腹黒い(気がする)』との意見が大多数を占めていた。
「ここで何してるの?探し物?」
「ああ、いやいや。そうじゃなくて、ね」
「……もしかして、入る教室間違えたとか?」
「いやいや、ないない。流石にそれはないって」
「だよね」
 真剣な表情で聞かれ、薫は慌てて両手と頭を左右に振って否定した。それは司も承知のようで、すぐにいつもの人を和ませる柔らかな表情へと戻る。それから視線を薫の背後へ向けて、納得したように一人頷いた。
「ああ、なるほど。その席か」
「知ってるの?」
 首だけ捻って確認し、すぐに司へと向き直る。すると、その顔が心外だと言いたげに少しだけむっとした表情へと変わった。
「あのね、ここをどこのクラスだと思ってるの?」
「すみません。ここは佐崎くんのクラスです」
「分かればよろしい。で、その席だけど…一週間前に交通事故で亡くなった森の席だよ」
「そう…なんだ。全然知らなかった」
「だろうね。全校集会があった日、花咲さん風邪ひいて2日ぐらい休んでいたでしょう?あの時だよ」
「ああ…なるほど」
 そう言うことかと一人納得した。
「クラスも違うし、あまり話題にするのも…ね」
 先ほどよりも淋しく見える花瓶の置かれた席を、薫はじっと見つめた。死ななかったとはいえ、同じ事故にあった身。その時の記憶が蘇りそうになって、薫は強くスカートの端を握った。震えそうになる体を何とか落ち着けようと唇を噛む。…どれだけの恐怖だったのだろうか?否、恐怖なんて、感じる間もなかったかもしれない。それでも、その衝撃は計り知れなかったに違いない。薫自身、一年経った今でも時々夜中に悲鳴を上げて飛び起きるのだ。夢の内容は覚えていない。覚えていたいとも思わないけれど。ただ、漠然とした恐怖が体中に纏わり付いて離れないのだ。
「……花咲さん?」
 急に黙り込んだ薫を、司は不思議に思ってそっと近づく。そしてその体が微かに震えていることに気づいてハッとした。そうだ、彼女は去年…――
「ご、ごめん!気づかなくて!!」
 慌てて司は、薫と机の間に入り込みその視界から花瓶を隠す。それで終わったことを無くせるわけでもないのだが、今自分に出来ることを考えた結果がこれだった。あまり見ない司の焦った様子に、薫は一瞬震えていたのも忘れてその困ったような顔を凝視した。が、すぐにくすりと笑みをこぼした。
「ありがとう、佐崎くん。大丈夫よ。……ごめんね?」
「花咲さんが謝ることはないよ。僕の気が至らなかっただけなんだから」
 明るい口調でいつもの調子を取戻した薫に、司もほっとして笑みを浮かべた。ふと、薫は思ったことを聞いて見た。
「ねぇ、もしかして佐崎くん、その森って人のこと……」
 薫が聞こうとしていることが分かったのか、司は悲しげな笑みを浮かべて頷いた。
「うん。知ってる。同じ部活で、良く一緒に騒いでた」
「…そっか……」
 いつの間にか夕日も沈みかけ、教室の中に暗い夜の影が落ちていた。外のグラウンドから聞えていた運動部の声は途絶えており、どこか淋しげな司に薫は一言返すのが精一杯だった。


 

:第2話

「ふぅ~、さっぱりしたぁ!」
 お風呂上りの濡れた髪をタオルで拭きながら、薫は自室のベッドに勢い良く腰を下した。モスグリーンを基調に黄色やオレンジの淡い小物で飾られた6畳程の部屋を、暖かなほんのりと赤い灯りが照らしている。いつもの習慣でベッドの脇に置いてある一抱えもある黒猫の人形を抱きこんで全体重を預けた。
「うあー…眠りそう」
 幸せそうに呟く彼女の下で、潰された黒猫がくしゃりとその顔を歪めて迷惑そうに揺れていた。
「しっかし、一体何なんだったんだろう…これ」
 かさりと横に置かれた机の上から手を伸ばしてあの紙を取る。元の通り折りたたんだそれをもう一度広げて見る。最初に見た時と変わることなく、2-3の窓際でその少女はこちらに背を向けて座っていた。呼び出しかと思って行ってみれば、待っていたのは交通事故で死んだという“森”という生徒の花瓶が置かれた席だけ。知り合いの佐崎 司にとってはどうやら良く知る人物のようだったが、薫にとっては今日まで名前も知らなかった人物だ。
「やっぱり悪戯かなぁ……」
 じっとそのスケッチとにらめっこしていると、コツンコツンと目の前にある窓から軽い小石のぶつかるような音がした。その音の主に覚えのある薫は、黒猫を定位置へ戻すと紙を持ったまま窓へと歩み寄る。厚いカーテンとレースのカーテンを一気に開けると、出窓に腰かけ鍵を外した。
「やっほー、薫!やっぱりいたね」
「おす、静。今お風呂から出たところ。そっちは?」
「うん、今塾から戻ってご飯食べたところ」
 白いベランダの手すりに体を預けて、川浪 静(かわなみ しずか)がにっこりと可愛らしい笑みを浮かべた。ショートカットの良く似合う目のクリッとした彼女は、薫が高校へ入ってから隣に越してきたお隣さんだ。同じ高校だったことも合ってそれ以来ずっとこうしてやりとりしている親友だった。
「お疲れ様!…でも、いいなあ。高校入った頃から行きたい大学が決まってるなんて。羨ましいよ」
「お、その様子だと薫のクラスでもあれが配られたね?」
「うん、進路希望票でしょ?配られた」
 げんなりとして言う薫に、静はどこか納得したように笑みを浮かべる。
「その様子だと、薫も書くことに困っているくちだね?」
「そうなんだよ。急に将来の進路を書けって言われてもねぇ…。それで、書いたら書いたで突拍子もないことだと書き直せって言われるんじゃ、本当に進みたいこと書いてもしょうがないというかなんというか」
「なになに?薫の進路ってそんな現実離れしてるわけ?」
 急に興味津々な瞳でぐっとベランダから乗り出してきた静に慌てた。
「ちっちがうわよ!例えばの話!」
「なーんだ…つまらん」
「あのね…」
 心底がっかりそうに頬杖をついて口を尖らせる静に、薫はため息をついて笑った。一体何を期待していたのだろうか。そうして、かさりと手の中で音をたてた紙の存在を思い出した。
「あ、そういえば静。実は今日帰りに妙なことがあってさ」
「妙なこと?」
 視線だけをこちらへ向けて、それでもその瞳は何があったのか興味津々な静。その様子に苦笑を浮かべながら薫は紙を静の方へと差し出した。
「うん。この紙なんだけど…靴取ろうとしたら入ってたの。私の下駄箱に」
「ほほぅ。ラブレターかなんかかい?はたまた、果たし状とか?」
 頬杖を止めて静がこちらに伸ばした手に、紙を渡す。受け取るや否やなんの躊躇もなく開くと、その表情がすぐに不思議そうな怪訝そうなものに変わった。それはそうだろう、渡されたものが只のスケッチだったのだから。
「え、何これ。内の教室のどっかを描いた絵に見えるんだけど……」
「その通り。だから分けが分からなくて、ちょっと気味悪いんだよね」
「『2-3』って書いてあるね。ここへ来いっていう、新手の呼び出しとか?」
 文字の書かれた部分を指差してたずねる静に、薫は首を横に振って自分もそう思い、行った先で目にしたもの,聞いたことを話した。
「ほうほう、交通事故で亡くなった“森くん”とやらの席に、呼び出しをくらったと」
「うん。だから余計に気味が悪くて……」
「うーん……考えられるとすれば、薫にその森くんのことを知って欲しかった…とか?」
「私に?一体何のために?」
 全くその意図が見えず薫は眉を寄せて首を傾げた。そんな様子に構うことなく、にんまりと静が意味ありげに含み笑いを浮かべる。
「例えば、その森くんが薫のことを生前好きだったとか。で、死んでもなおその思いを分かって欲しくてこんな形を取った。とか」
「や、止めてよ!それじゃまるっきりホラーじゃない!!私、心霊とか弱いんだからあっ!!」
「あはは、ま、それは冗談だとして。一つはっきりしているとすれば、誰かが故意に薫の下駄箱に入れたってっことよね。これでゴミだとかはない気がするし」
「そう…なのかな?やっぱり」
「間違って置いた可能性もないでもないし、とりあえず様子を見てみれば?で、また同じ事があったら考えるということで」
「ん、そうだね。ありがとう静」
 相談したせいか、どことなくすっきりした気持ちで頷く薫に静も満足気に頷いた。
「そんなに気にしないの。じゃ、おやすみ!」
「うん、おやすみー」
 いつものお決まりの挨拶を交わして静と別れた。その後、布団に入った薫は結局あの手紙のことと夕方のことが気になってなかなか寝付くことが出来なかった。


  

:第3話

「――で、また入っていたわけか」
「うん」
 朝、登校するとやはりスケッチブックの切れ端が、下駄箱の中に入っていた。しかも気味の悪いことに、描かれていたのは幼い頃の薫が猫を抱いて神社の境内に立っている場面だった。笑顔で正面を見ていることから、写真か何かを模写したものなのだろう。幼い頃そんな写真を撮ったことはあったかもしれない。しかし、それをこのスケッチの送り主が持っているというその事実が、薫の心に言いようのない不安を漂わせる。
 そして昨日同様、鉛筆で走り書きが添えてあり今はその書かれた場所へ二人で向かう途中であった。
「『いつもの約束の場所で 八幡神社』…はちまんじんじゃ?って、いつも登校途中で見かけるあの森みたいな所のこと?」
「うん、そうみたい」
「ほほう!そいつはちょっと楽しみだね!私、あそこずっと入ってみたいって思ってたんだよね~。あんな住宅街にぽつんと森でしょ?気にはなってたんだけど、何か不気味で近寄り難くて…入りづらかったのよね」
「……静……」
「あ、いや、ごめん。つい、嬉しくて」
「もう……」
 尻尾があったら千切れんばかりに振っているだろう喜びように、思わず声のトーンが落ちてしまった。焦って謝る静を横目に見つつ、ため息を一つ落して薫はもう一度スケッチへと視線を落とす。何度見ても、そこに描かれているのはまごうことなき幼い自分。少なくとも、送り主は自分のことを知っていることになる。しかも幼い頃から。…もしかしたら、幼い頃の知り合いで最近は会っていない人なのかもしれないと薫は思った。
「いつもの約束の場所ってことは、子供の頃よく遊びに行っていたってこと?」
「…どうだろう。子供の頃の記憶なんて、旅行へ行ったとか特別なことしか良く覚えてないよ」
「そうだよねえ。私も、すごく嬉しかったこととか楽しかったことくらいしか覚えてないや。ちょっとした瞬間に似てる物とか場面見て、『あ、知ってる!』とか思うぐらいだもんね」
 うんうんと一人隣で頷く静を眺めて、くすりと一つ笑みを浮かべた。
「ん?何?なんか変なこと言った?私」
「ううん、違うよ。…ありがとうね、静」
「おお?何、なに。いきなり」
「一緒に来てくれてありがとう。少しね、やっぱり不安だったんだ。相手は私のことを良く知っているのに、私は何も分からなくて。もしかしたら、ストーカーかなとか、知らない間に恨みを買うようなことをしたのかなって色々考えてさ。一人で神社に行くの…正直恐かった。だから、ありがとう」
 そう言って小さく頭を下げると、思いっきりぱしりと背中を叩かれた。衝撃で数歩前にたたらをふむも、踏ん張って倒れることは何とか免れた。
「なに言ってんのよ!これくらいで早々感謝なんていらないっつの!私とあんたの仲じゃないの。そういうのは気にしない、気にしない!ね?」
「うん…ありがとう」
「それに、お礼なら言葉よりも行動で頂こうか」
「え」
 一瞬友達であることを感謝しかけた薫の顔が、ぴきりと固まる。
「駅前に新しく出来た喫茶店。チーズケーキが種類豊富で絶品だって噂なんだよね~」
「…奢ラセテイタダキマス」
 キラキラと期待いっぱいの視線に、引きつり笑みを浮かべた。頭の中で、今月いくら入っていたかとお財布の中身を思い出す。福沢諭吉さんの数を数えて悲しい現実に頭を抱えたくなった。そんな薫の様子をしばらく観察していた静がプフッと拭き出す音が聞えてきた。
「嘘ウソ、冗談よ。私が好きでついて来てるんだから。…でも、ケーキは後で一緒に食べに行こうね」
「……うん。分かった」
 一瞬驚いたけれど静かの心遣いが嬉しくて、薫は笑顔で頷いた。
「お、見えてきたね」
 静の声に視線を向ければ、住宅街の中に忽然と小さな木の塊が見えていた。道路を挟んだ向こう側。石を積んで道路よりも僅かに高さをつけ、一部木の柵と金網でぐるりと周りを囲まれたその上に小さな森が乗っかっているその場所が、地元でも良く知られた子供たちの遊び場『八幡神社』だ。入口の灰色の鳥居に回り込み中へと続く数段の石段を登ると、もう一つの赤い鳥居が目の前に現れた。砂利の敷かれた境内に真っ直ぐと本殿へ向かって鳥居より伸びた石畳の通路。その少し離れた所に設置された手洗い水の前を通り過ぎると、小さくもないどっしりとした神社の建物が鎮座している。木に囲まれた独特の澄んだ静けさは、何処か懐かしさを感じさせた。
「うーん、なんか気持ちいいね!それに、初めて入るのに何だか懐かしい感じがするなぁ」
「うん、そうだね」
 両手を上げて体を伸ばす静の言葉に、薫も今までの不安が何処かへ行ってしまったすっきりとした気持ちで頷いた。まだ何も解決していないけれど、ここが恐い場所ではないことだけははっきりと分かる。辺りに視線を巡らせながら本殿へと歩み寄り、賽銭箱の前で足を止めた。何故か感じる懐かしさに木造の大きな建物をじっと見上げていると、ぐんと軽く上着を背中から引っ張られる感覚がした。不思議に思って振り返ると、同じ目の高さに誰もいなくて一瞬恐い考えが浮かんだが、直ぐに真下から声がかかってホッとした。
「ねぇ、ねぇ。お姉ちゃん、何してるの?」
 見下ろせば、腰より頭一つ分ぐらいの背の男の子がじっとこちらを見上げていた。怪訝そうな顔をしているところ見るとよほど変な顔をして突っ立っていたのだろうと、今更ながら薫はそれが恥ずかしくなって笑って誤魔化した。
「ちょっとね。初めてここに来たから、色々珍しくて見とれちゃってね」
「ふーん」
「君は毎日ここで遊んでるの?」
「毎日じゃないけど、よく来るよ。今日もね、お友だちと待ち合わせしてるんだ!」
「そっか」
 嬉しそうに話す少年に、こちらも嬉しくなってつられて笑顔で頷いていた。
「お姉ちゃんは何でここにいるの?」
「ん?お姉ちゃん?お姉ちゃんは探しもの。ちょっと忘れ物があって、探しにきたんだよ」
「そうなんだ。じゃあ、僕手伝おうか?」
「あはは、ありがとう。でも、大丈夫。友達も手伝ってくれているからね」
「ふーん、そっか。見つかるといいね」
 そう言って笑うと、男の子はバイバイと手を振って、本殿の裏へと走って行ってしまった。その姿が見えなくなるまで手を振り返して、ふと何故か前にもこんなことがあったような気がして薫は首を傾げた。昔、幼い頃に自分は今と同じ場面を見ているよな…そんな気がしてならなかったのだ。
「おーい!薫、ちょっとこっち来てよ!!」
「?」
 思考にふけっていた薫の耳に、静の呼ぶ声が聞えて我に返った。慌てて振り返ると、入口付近にある社務所の横で、絵馬をかける台の前に立って此方へ向かって手招きしている静の姿があった。
「なーにー?」
「いいから、来てみなって!」
 叫びあっていても埒が明かない。不思議に思いながらも静の元へと駆け寄る。
「ね、これ見てよ。これ!」
「なによもう」
 興奮気味に一つの絵馬を引っ張って指差すその手元を覗き込む。そうして、思わず言葉を失った。

『てっちゃんと同じ大学に受かりますように』

 そこには、確かに見覚えのある薫の字でそう書かれていた。
「……」
「これ、薫の字だよね?てっちゃんって…薫の幼馴染か何か?」
 問いかけに、震えながら薫は小さく首を横に振った。
「わ、分かんない…。全然覚えてない。私、いつここでこれを……?」
「大学ってことは、結構最近だよね。中学生だったらきっと『同じ高校』って書くだろうし」
 横で唸って首を捻る静の声も上の空で聞きながら、頭の中で懸命に記憶の引き出しを引っ掻き回す。だけど、どこにもこの絵馬の記憶は存在しなかった。いや、思い出せないだけで、ずっと奥の方に閉まって中々出てこないだけなのかもしれない。
「てっちゃーん!どこー?」
 不意に響いた高い少女の声に、ぴくりと二人で反応して思わずその声のした本殿の方へと体ごと振り返った。
「ここだよ!」
 そう言って神社の裏手から走り出してきたのは、先ほど話した少年だった。その少年を全身で怒っていると表した一人の女の子が、腰に手を宛て仁王立ちになり賽銭箱の前で待ち構えていた。
「もう!どうしていつも隠れちゃうの!!探すの大変だったんだから!!」
「ごめん、ごめん!ほら、お詫びにこれやるから機嫌直せって」
 そう言って差し出したのは、ピンクと白の小さくて可愛らしい花で作ったミニブーケだった。
「わぁ、可愛い!!ありがとうてっちゃん!!でも、これどこに咲いてたの?」
「いっぱい咲いてる、こっちだよ!」
 ぱっと花が咲くように輝いた少女の様子に満足したのか、少年は自慢げに胸を張る。そうして、少女の手を取ると急かすようにぐいぐいと引っ張り、二人仲良くまた裏手の方へと消えて行った。そのあっという間の出来事を、薫と静は二人でぽかんと眺めてしばし呆然としていた。
「……びっくりしたぁ。あの子もてっちゃんって言うんだね」
「うん……」
「私てっきり、この絵馬のてっちゃんが来たのかと思っちゃったよ」
「……」
 あははと笑う静とは反対に、今の光景で思い出した記憶が薫をもっと驚かせ言葉が出て来なかった。そんな薫を妙に思ったのか、静が顔を覗き込み怪訝な表情を浮かべた。
「薫?どうしたの?」
「…思い出したの。私、昔あの子たちみたいにここで遊んでたのよ。…てっちゃんと一緒に」
「え!それってやっぱり、この絵馬の?」
「分からない。それしか思い出せなくて…多分、そうだと思うけど…」
「ふむ。確かに、妙よね。もし、同じてっちゃんだとしたら、今の薫に分からないはずがないもんね」
「もしかしたら……」
「うん?何か思いついた?」  一人納得して頷いていた静が、独り言に近い薫の呟きを聞きつけて勢いよくこちらを向いた。
「うん、もしかしたら、なんだけど。今の私が“てっちゃん”を分からないのは、一年前の事故の性かもしれない」
「事故?…ああ、誕生日の日の…。そっか、そう言えば薫、あの頃の記憶が少しの間だけぬけちゃっているんだっけ……」
 ごめんと謝る静に薫は首を振って笑ってみせた。気にすることでは本当にないのだ。事故のことも、強い恐怖意外はおぼろげにしか覚えていないのだから。
「スケッチの絵は、もしかしたら絵馬のことを教えたかったのかもしれない」
「そうすると、やっぱりスケッチを薫に送っているのは“てっちゃん”ってこと?自分のことを、思い出して欲しくて…とか」
「どうだろう…だとしたら、同じ高校の人ってことになるけど……」
 二人そろって唸って考え込むこと暫く、やおらパチンと静が手を打った。
「もしかして、亡くなったって言う森さんがてっちゃんとか?」
「もしそうなら、いくら記憶がなくても私に情報が入ってくるよ。小さい頃、仲良くしていたんだし」
「そうだよね…そうなんだよねぇ」
「うん」
 考えが行き詰まり、黙り込んだ薫たちの間を爽やかな風がゆるく吹き抜けて行く。それをめいっぱい吸い込んで吐き出してから、静が「よし」と気合を入れた。
「もうこれは、亡くなったって言う『森』って人についてもう少し調べてみるしかないね」
「そうだね。それで、森さんがてっちゃんなら私も何か思い出せるかもしれないし、このスケッチの送り主も分かるかもしれないよね」
「そうと決まれば、知ってそうな人物へ突撃だね」
「心当たりがあるの?」
 不思議に思って聞き返した薫に、呆れた様に静かがため息をついた。
「薫…あんた、誰に森さんのこと聞いたのよ」
「あ」
 静の言葉で、にっこりと人の良い笑みを浮かべる佐崎君の姿が薫の脳裏に浮かんだ。
「佐崎司君」
「ぴんぽーん!明日さっそく、話を聴いて見ようよ」
「うん。そうだね」
 ぐっと拳を胸の前で握って勢いづく静につられて、薫も力強く頷いた。


  

topへ