『 籠の中の鳥 』

:第壱夜

 ……かぁごめ、かぁごめぇ……

 微かに聞える楽しそうな子供たちの声に、少女はそっと目を開けた。

――ここはどこだろう?

 板張りの床の上に起き上がると、不安げな視線を辺りへとさまよわせる。 …ふと、薄暗い室内にどんと座っている黄色い服を着た大男に視線が止まった。恐る恐る近寄ってみると、それはお寺ならどこにでもあるだろう木で作られた三メートルはある大きな仏像だった。
「…なんだ、お仏像様か……」
 心底ホッとしたのか、少女は胸に手を置いて深く息をはいた。
「でも、お仏像様があるってことは、ここはどこかのお堂の中?」
 腐りかけた柱と所々崩れ落ちた土壁が、何十年という歳月の中でこの場所が一度も人の手入れを受けていないことを物語っていた。
「今にも倒れそう。きっと土台が腐ってるんだ……」
 少し前かがみになった仏像を見上げて、少女は無意識のうちに手を合わせていた。
「でも、ここがお堂の中だとして…なんでこんな所に私はいるんだろう?」
 首を傾げて腕を組むと、少女はここに来る以前の記憶を呼び覚まそうと目を閉じた。
――あれは確か…石段の途中だったはず……。


:第弐夜

 まだ日の入りまでにはかなりの時間がある夕方の茜空。その恨みの炎にも似た真っ赤な日の光に照らされながら、一人の少女がお堂へと続く長い石段を登って行く。藍色の着物に薄い桜色の帯を後ろで結んだ小さな顔は、必死そのものだった。
 …早く…早く神様にお願いしなくちゃ……!
 始は小走りに。だんだんと足が疲れてくると一段飛ばしに大股で。最後には這うようにしてなんとか階段を上り切る。上り切ったら切ったで休む間もなくふらふらとお堂の前に歩み寄り、さい銭箱にお金を投げることも忘れて。少女はしがみついたお堂の鈴を、ジャラジャラと力いっぱい左右に振った。

 ぱんっ! ぱんっ!

 なんとかその場に立つと、勢いよく両手を打ち合わせて深々と頭を垂れた。
「お願っ…します、神様…。どうか…どうか私の弟の病気を治して下さい!!」
 叫んだ声も虚しく、辺りに答える者はいない。それでも少女の願いは止まることなく溢れ出る。
「弟が治るのなら、私はどんな苦労でも耐えます。ですから…ですから!! 弟の病気を…どうか治して下さい!!!」
 終いには叫ぶように訴えた彼女の言葉に、やはり答える声はどこからも聞えなかった。
「…お願いよ…弟を治してよ……お願いだから…。助けてよ! 助けて…弟を…弟を連れて行かないでぇっ!!!」
 泣きたくも無いのに涙が後から後からこぼれ落ちる。強く拳を握り締めて、少女は負けるもんかと歯をくいしばった。
 少女には両親がいなかった。二人ともまだ少女が幼かった頃に亡くなっており、少女は親の顔を知らなかった。物心ついたときから多くの自分と同じ境遇の子供たちと共同生活を送っていた。少女が“弟”と呼んでいる少年も、少女と同じく親の顔を知らない子供だった。それでも少年は少女のことを実の姉のように慕い、少女もまたそんな少年を実の弟のように可愛がっていた。
 少年は少女にとってもっとも大切なもの。


―――絶対に失いたくない―――


…その思いだけで、少女は一心に祈った。
 今日だけではない。少女がこのお堂へお参りに来たのは今をいれても二十を越えていた。
「今日で何回目になるんだろう…。ちっとも良くならないよ……」
 お参りしたことで緊張の糸が解けたのか、少女はぽつりとつぶやいてお堂の階段に座り込んだ。無理もない。ほぼ毎日といっても良いほど少女はお参りに来ているというのに、その効果が目に見えて現れることがないのだから。
「神様なんて……本当はいないんだわ。いれば、弟が良くならないなんてことがあるわけないもの……」
 うつむいた少女の目に、じんわりと涙が浮かぶ。それは、悲しみと悔しさと腹立たしさの入り混じった、冷たい涙だった。


…そう…私も同じ……


「……え?」
 ふいに誰かの声を聞いた気がして、少女は後ろを振り返った。しかしそこには、古ぼけたお堂の扉がぴったりと閉まっているだけ。
「気の……せい?」


…神様は……何もしてくれなかった!!


「!!」
 今度ははっきりと聞こえた。それは確かに、お堂の中から聞えて来るものであった。


 

:第参夜

  ジャラシャラッ!

 お堂の外で鈴を鳴らす音が聞こえた。

  ぱんっ! ぱんっ!

 手を叩く音。そして……

“私の弟を助けて!!”

 自分と同じ思いを込めて叫ばれた心の声。

『これは……私?』

 そっとお堂の扉から外をうかがうと、十二,三歳の少女が一心にこちらへ向かって手を合わせていた。

“弟の病気を治して下さい! 弟がよくなるのなら、私はどうなっても構いません!! だから……!!!”

 しかし、当然ながら答えるもののない様子に、少女の両目からぽろぽろと大粒の涙がこぼれ始める。


“こんなに祈っているのに、弟は少しも良くならない……。きっと…きっと……”


『……そう、神様なんていない。この世のどこにも……』

 泣いていた少女が顔を上げ、不思議そうに辺りをうかがう。

『聞える? 私の声が?!』


“……誰? 神様?”

 今度ははっきりと、少女が自分の方へと視線を向けた。


  

:第肆夜

 突然吹いた強い風に、目の前のお堂の扉が勢いよく開いた。
「?!!」
 一瞬身を硬くした少女だったが、神様が自分の願いを叶えに来てくれたのかもしれないと思い、恐る恐る開いた扉へと歩み寄った。おさい銭箱の横をすり抜け、数段しかない階段を踏みしめるように上る。ぽっかりと開いた扉の前に立った少女は、お堂の中をうかがうように視線を走らせた。が、そこにはただ一体の仏像が鎮座するのみで、ほかに誰の姿も見当たらない。
「……神様?」
 ぽつりとつぶやいた瞬間、少女の腕をがっしりとつかむものがあった。
「?!!!」
 驚いてつかまれた腕へ視線を向ければ、そこにはしっかりと自分の腕をつかむ、空中から生えた白い子供の腕が一本。
「っ!? あっ……あっ……!!」
 恐怖のあまりひきつる喉で叫びながら、逃れようと腕を振り上げた。しかし、それはすぐに現れた新たな手によってはばまれる。逃げるどころか引っ張り込まれて、少女の小さな体をお堂の中へと引き倒された。
「きゃあっ!」
 瞬間的につぶった瞳を再び開いたとき、目の前にあったのは自分を覗きこむ白目を向いて、歯をくいしばったもはや生きていない死人の顔だった。
「はっ……ぅ……ぁあああああああああっ!!!!」
 あまりのことに少女が悲鳴を上げた瞬間、お堂の中へと強く風が吹きこんだ。かろうじで外界に残っていた少女の体は吸い上げられ、バタリとその扉は再び閉じられたのだった。
 そうして何もなかったかのように虫の声が響き、気がつけば太陽は沈みかけ、夕闇の迫る時刻になっていた。


  

:第伍夜

「はっ……ぅ……ぁあああああああああっ!!!!」
 引き込んだ少女の叫び声と、その恐怖に慄く表情を見て記憶が鮮明に甦った。自分がこのお堂に閉じ込められた時も、そうだった。誰かに手を引かれ、倒れ込んだ先で酷く恐ろしいものを見たのだ。酷く、醜い、死人の顔を。
「…っ!!」
 思わず掴んでいた手を離し、爪が剥がれ赤黒く染まった両手で顔を覆った。開かない扉を開けようと引っ掻いた、指の成れの果てだった。
 その瞬間、お堂の中から背中を強い力で押された。
「?!」
 それはまるで、襟首を摘まんでポイと投げ捨てられるような感覚で。私の体は弧を描いて宙を高く飛んだ。開放されるのだとすぐに知った。知ったときはうれしかった。
 久し振りに見た茜色の空。見下ろす景色は私の知っているものとは大分違っていたけれど、お堂とその周辺だけは記憶と何一つ変わることなくそこにあった。ただ少しだけ、記憶の中よりもその外観が古びているように見えた。
 そうして気がついた。あのお堂は、あれ自体が化け物なのだと。あれは自分の体内に哀れな少女を一人取り込むことで、その少女の生気を吸って永らえているのだと。そうして死んだ魂しか残らない少女の骸を使い、次の生贄を呼んでいるのだと。
 落ちる視界に一瞬お堂を捉え、巻き込んでしまった少女のこれからを思い胸が痛んだ。私のかつての願いに共鳴してしまったばかりに、新たな糧となった少女。
 しかし、その思いも視界いっぱいにお堂へ向かう階段が広がった時に、どうでもよくなっていた。強張る顔にできる限りの笑みを浮かべる。今はただ、解放されることが嬉しくてしかたなかった。
 固いものにぶつかり、ぐしゃりと腐った体が潰れ広がる。
 もはや死んだ体。痛みも何も感じることなく、私の意識は喜びの中で消えていった。


  

:第陸夜

 ……かぁごめ かぁごぉめぇ……

 微かに聞える楽しそうな子供たちの声にそっと目を開けた。
…ここはどこだろう?
 板張りの床に起き上がると、不安げに視線を辺りへさまよわせる。…ふと、薄暗い室内にどんと座ってる汚れた茶色い服を着た大男に視線が止まった。恐る恐る近寄ってみると、それはお寺ならどこにでもあるだろう木彫りの三メートルはある大きな仏像だった。
「なんだ…仏像か……」
 心底ホッとしたのか、胸に手を置いて深く息をはく。
「でも、仏像があるってことは、ここはどこかのお堂の中…?」
 腐った柱とほとんど崩れ落ちた土壁が、何十年という歳月の中でこの場所が一度も人の手入れを受けていないことを物語っていた。
「…この仏像、座っている土台が壊れたんだね。後ろに反り返ってる」
 酷く仰向けになった仏像を見上げて、無意識のうちに手を合わせていた。
「でも…ここがお堂の中なら、なんでこんな所にいるんだろう?」
 首を傾げて腕を組むと、ここに来る以前の記憶を呼び覚まそうと目を閉じた。
 そう … ア … レ … ハ ……


  終


 

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