水 宝 玉 - ア ク ア マ リ ン -

 ある日、『珍しいものを手に入れた』と、突然ソラが訪ねてきた。
 “珍しいもの”と言ってソラが取り出したのは胡桃ほどの水宝玉(アクアマリン)だった。どうやって手に入れたのか聞いても答えず、ニヤニヤと笑いながら僕にガラスの大きな器に水を入れ持ってくるように言った。
 訳もわからぬまま、とにかく言われたとおり台所へ行きガラスの器に水をたくさん入れた。慣れた足取りで僕の部屋へと上がりこむソラの後を追って、二階へその器を慎重に運んだ。
 開け放たれたドアへ足を踏み入れれば、ソラが出窓をポンポンと叩いて笑顔を浮かべて立っていた。そこに置けということかと判断して、僕は持っていた器をそっと出窓に降ろした。
「見てろよ」
 そう言うと、ソラは持ってきた水宝玉をそっと器の中に落とす。言われるまでもなく、好奇心からゆっくりと落ちてゆく水宝玉をじっと見つめた。ふと、ピクリと石の中で何かが動いたような気がした。そのまま凝視する僕の目の前で、水宝玉はゆっくりとその形を一匹の魚へと変えて行く。
「わぁ…っ!」
 石と同じ青く透き通った魚は、今まで見たどんな魚よりも綺麗だと思った。

「この水宝玉は特別製なんだ。なんでも、人の子に恋をした人魚がその思いを伝えられない悲しさから、こぼした涙が石になったものだって言われてる」
「へぇ、人魚の恋心が作った石かぁ。なんだかロマンチックな話だね」
「まあ、本当かどうかは知らないけどな」
「なんだよそれ……」
 ソラの言葉にため息をついた僕の耳を、ゆったりと悲しい旋律がふいに撫でた。
 歌っていたのは水の中の魚だった。ゆったりと泳ぎながら、その小さな口から信じられないほど透き通る歌声が響いている。水の中にいるのに、その歌声はまるで陸で歌うように僕らの耳に届いていた。

「この歌が、悲しい恋をした人魚の歌声なのかな?」
「多分な。叶わぬ恋に心を締めつけられながら歌ったんだろう…」
「その時こぼれ落ちた涙の一粒がこの青海石なんだね」
「うん。石になる瞬間、その悲しい歌声もその身に閉じこめたんだろう」
 切々と歌うその声は、聞いているだけで胸が締めつけられる気がして、僕は自分の胸元をギュッと握り締めた。
 しばらくじっと耳を傾けていると、ふいにソラが水の中に手を入れてそっと魚をすくい上げた。それだけで魚は大人しくなり水面から出る時にはもう、ただの石に変わっていた。
「不思議だね。本当に不思議」
 ソラの手の中の石にそっと指先だけで触れてみる。硬くてツルツルとした手触りに、それが本当に石なのだと分かった。そんな僕の様子にソラが苦笑を浮かべた。
「…その人魚ってまだどこかで生きているのかな?」
 そんなソラを気にすることなく問いかける。ソラはしばらく考えこんでから頷いた。
「そうだな。きっとどこかの海で生きているかもな」
「まだ…その人の子のこと好きなのかな?」
「さあなぁ…。そればっかりは本人に聞いてくれ。案外、人になる方法を見つけて陸に上がってるかもよ?」
 得意気なソラの様子に、今度は僕が小さく笑った。
「さて、と。これからどうする?」
 両手に持ち上げていた青海石を無造作にポケットにつめこむと、そのまま両手をズボンのポケットにつっこみ聞いてきた。
「え? そんなの決まってるじゃん」
「いつもの化石屋に遊びに行く…か?」
「もっちろん!」
「はいはい」
 満面の笑みで頷くと、ため息をこぼして呆れるソラの背中を押して僕らは部屋を後にした。


「……あら?」
 微かに耳をくすぐった覚えのある音色に、老婦人は足を止めた。それにつられるように、隣を歩いていた老紳士も足を止める。
「どうかしたのかい?」
 優しく問いかける彼に、彼女は困った様な曖昧な表情を浮かべた。
「今ね。昔、私がよく歌っていた歌が聞こえたような気がしたの」
「歌かい?」
「ええ」
 頷く彼女の瞳が切なく揺れる。
「あなたを思って…毎晩、私が口ずさんでいた歌よ」
 老紳士はハッとして目を見開いたが、すぐに柔らかい微笑みを浮かべた。
「そうか…。どんな歌だったんだい?良ければ聞かせておくれ」
 老紳士の言葉に老婦人が戸惑いの表情を向けた。彼に会えなくて、苦しい思いをした思い出の歌を、どうして彼が聞きたがるのか分からなかったから。
 そんな彼女の手が取られ、そっと握られた。
「君にそんな顔をさせる歌なら、今の幸せな僕に聞かせてしまいなさい。そうすればその歌は君を苦しめる歌ではなく、僕のために歌ってくれた幸せな歌になるのだからね」
 老紳士の自信たっぷりな言葉に、彼女は幸せそうに笑って頷く。
「ええ、ええ。そうですね。そうしてしまいましょう」
 微笑み合うと、再び二人は歩き出した。婦人の口からは、あの歌が紡がれる。しかしそれは、先程微かに耳をくすぐった悲しい旋律ではなく、隣を歩く愛しい彼に向けた、柔らかく温かなメロディーだった。

 



  

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